自然の風景は心地よい。風にそよぐ草原や水面の光など、飽かず眺められる風景には、「ある規則性を持ちながらも同一のパターンを繰り返さない律動」がある。これを「韻律」と名付けた。 

韻律を通して見渡すと、これまで感じていなかった世界を捉えることができる。すべての現象、そして人間の行為が一回性を持ち、常に生成と消滅を繰り返している。私という存在も、個としてゆらぎながら誕生し、一度きりを重ねて生き、やがて消えていく。韻律の風景は、自身の存在と共鳴する。「なぜいる」を「だからある」にかえ、不思議としか言いようのない存在を認めてくれる。

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